コーヒーテーブルは2014年11月、新潟市の古町エリアにカフェとして初声を上げます。
今年で10年目。
老若男女、様々な世代の人たちに利用され、その人たちの使い方、その人たちの生活とともに、コーヒーテーブルも日々変化し成長しています。
丸10年を迎えようとしているコーヒーテーブルは、何を考え、何を想い、何を描いているのか、少しお話してみます。
「Giving well-being / こころの栄養を贈る」
私たちがこの街で日々お店を開けている理由です。
この10年間紆余曲折あって、必死になってやってきた結果見えてきた言葉。
たくさん間違って、考えて、反省して、改めて、いろんな感情と出会ってきた10年でした。
だからこそ、10年の月日が照らすように見えてきたこの言葉は、とてもシンプルで、私たちが目指しているものです。
中でも「こころの栄養」という言葉。
この言葉は、ビジョンの中核にあります。
私たちは、日々コーヒーやケーキを提供し、場所をつくり、それらを通じた時間をお客様に届けています。
果たして、コーヒーを売ることが私たちの仕事なのか
ケーキを焼いて、それを売ることが私たちの仕事なのか
もしそうだとしたら
利益を多く追求し、利益が出た分だけ喜び、それを自分たちの成長だと感じるでしょう。
でも、私たちはそうならなかった。
コーヒーは何のために淹れるのか
ケーキはなぜハンドメイドで焼くのか
カフェという場所はなぜ街にあるのか
何のためにあるのか
その問いの答えが「こころの栄養」という言葉でした。
みんな、がんばってますよね。
仕事でがんばって、学校でがんばって、子育てでがんばって、人付き合いでがんばって、自分の夢に向かって頑張って。
波のように上がれば下がり、下がった分だけ上がり、その過程で人それぞれ、いろんな感情の中を泳ぎながら生きていく。
人間という生き物は、感情を持つことで、繊細で美しく、しなやかに、時に傷つきながら、前に進んでいきます。
傷つくのは、体じゃなくて、だいたい心なんですよね。
頑張りたいのに頑張れない、のはきっと心が疲れているから。
そういう人は世の中に多いと思う。
だから、私たちはこころの栄養という言葉に、必然性とともに行き着いたと思うんです。
そもそもでいうと、カフェは人が集まり、言葉を交わし、時に議論をして、自分の頭の中や心の中が整理されていく時間がある場所(だと思っている)。
言葉を交わすのは、自分以外の誰かじゃなくても、本を読みながら、文章を書きながら、自分自身と会話している人もいて、そういう時間の過ごし方も、僕はとても大切だと思う。
スマホの画面見てSNSをなんとなく見ている人の脳って動いてないんです。あれは知識じゃなくてただの情報なので、表面的で中身がないものが多い。それをなんとなく見て過ごす時間は、無機質で温度があまり感じられないんです。
人と会話したり、小説の世界を頭の中で旅したり、文章を書いたり、誰かを想ったり、そういう時間に共通するのは「人間の温度」なんですよね。
コーヒーテーブルが大切にしているのは、人間の温度、温かさ。
そういう温度がある場所を目指し続けることが、コーヒーテーブルがコーヒーテーブルでいられる理由の一つ。
コーヒーだったり、ケーキだったり、空間も、温度が感じられるものかどうかを、いつも大切にしてます。
コーヒー提供して、はい終わり。
ケーキ用意して、はい終わり。
あとはご自由にどうぞー。
というような、無機質な関係性がとどまる場所ではなくて
コーヒーテーブルが描くカフェは有機的な場所だから、この先の未来でカフェは必要とされるものだと確信しています。
この世に頑張る人や時間が増えれば増えるほど、その数だけ、その量だけ、休む時間や場所が必要になります。
僕は日常の中に小さな幸せを感じやすい人間だから「1週間よく働いた」的なご褒美を自分にあげるとか、新しい環境や慣れない環境で頑張ってる友達に休息を贈るとか、なんかそれくらいの軽い感じ。フットワーク軽く向かえるのが、カフェ。
コーヒーテーブルが目指す先にある場所は、いつだって温かいものでありたいと願っています。
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